200円

「江戸川乱歩 全集70作品」では、江戸川乱歩の傑作70作品を掲載しています。
江戸川乱歩は大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家です。
また、戦後は推理小説専門の評論家としても活躍しました。
実際に探偵として、勤務したこともあります。
江戸川乱歩というペンネームは、作家のエドガー・アラン・ポーに由来します。

今回は、本書より「人間椅子」の一部を抜粋して掲載します。
なお全文は「江戸川乱歩全集70作品」に掲載されていますので、下記よりどうぞ。

 


人間椅子:江戸川乱歩

 

佳子よしこは、毎朝、夫の登庁とうちょうを見送ってしまうと、それはいつも十時を過ぎるのだが、やっと自分のからだになって、洋館の方の、夫と共用の書斎へ、とじこもるのが例になっていた。そこで、彼女は今、K雑誌のこの夏の増大号にのせる為の、長い創作にとりかかっているのだった。
美しい閨秀けいしゅう作家としての彼女は、ごろでは、外務省書記官である夫君の影を薄く思わせる程も、有名になっていた。彼女の所へは、毎日の様に未知の崇拝者達からの手紙が、幾通となくやって来た。
今朝けさとても、彼女は、書斎の机の前に坐ると、仕事にとりかかる前に、ず、それらの未知の人々からの手紙に、目を通さねばならなかった。
それはいずれも、きまり切った様に、つまらぬ文句のものばかりであったが、彼女は、女の優しい心遣こころづかいから、どの様な手紙であろうとも、自分にあてられたものは、かくも、一通りは読んで見ることにしていた。
簡単なものから先にして、二通の封書と、一葉のはがきとを見て了うと、あとにはかさ高い原稿らしい一通が残った。別段通知の手紙はもらっていないけれど、そうして、突然原稿を送って来る例は、これまでにしても、よくあることだった。それは、多くの場合、長々しく退屈極る代物であったけれど、彼女は兎も角も、表題だけでも見て置こうと、封を切って、中の紙束を取出して見た。
それは、思った通り、原稿用紙をじたものであった。が、どうしたことか、表題も署名もなく、突然「奥様」という、呼びかけの言葉で始まっているのだった。ハテナ、では、やっぱり手紙なのかしら、そう思って、何気なく二行三行と目を走らせて行く内に、彼女は、そこから、何となく異常な、妙に気味悪いものを予感した。そして、持前もちまえの好奇心が、彼女をして、ぐんぐん、先を読ませて行くのであった。

つづく